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最高裁判所第一小法廷 平成元年(あ)147号 決定 1991年2月06日

本籍

埼玉県越谷市越ケ谷一丁目一五番

住居

同所同番二号

医師

菅原賢治

昭和五年九月一七日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年一二月二一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人鈴木則佐の上告趣意は、事実誤認の主張であり、弁護人小栁晃の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大内恒夫 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平 裁判官 味村治)

平成元年(あ)第一四七号

○ 上告趣意書

被告人 菅原賢治

右の者に対する所得税法違反被告事件について、弁護人鈴木則佐の上告の趣旨は別紙のとおりである。

平成元年四月二五日

弁護人 鈴木則佐

最高裁判所第一小法廷 御中

上告の趣旨

第一点

原審の判決には左の通り証拠の援用に誤りがあり、右誤認は判決の結果に重大な影響を及ぼすので、破棄して差戻しされたい。

一、弁護人は原審に於いて弁護人が控訴趣意書で主張した通り主張するものであるが、補足をして次の通り主張する。

被告人及び菅原ムツ子の供述調書及び質問顛末書の供述記載については一歩譲って仮りに任意性及び特信性を欠くものではないとしても、少なくとも信用性を欠くことは明らかである。原審はこの点をチェックすることなく無批判に事実認定に援用していることは第一審の判断と同様誤りである。

二、弁護人が右の供述調書等の供述記載に信用性を欠くと主張する根拠を以下に述べる。

<1> 被告人を取り調べた大蔵事務官原正一などの査察官は被告人が頑として否認する態度を悪質と決めつけただけでなく、右査察官らの強引な調査に対して被告人がそれぞれに個人攻撃をしたと思わせる発言を繰り返ししたためにかえって個人的恨みを買い、右査察官らに何が何でもあらゆることを自白に追い込んでやろうと(心秘かに)決意させたことにある。

右査察官らは、過剰なまでに被告人を徹底的に悪質脱税犯人にしようとして、全体としてはきわめて強引な捜査を行なったものであり、その結果、作成された被告人及びムツ子の供述調書及び質問顛末書の供述記載は犯罪事実要素を一貫して認める供述記載の形にして作成した。強引な捜査をしたときは、素直な自主的供述調書を作るのが常識である。被告人及びムツ子の供述調書及び質問顛末書の最後には署名押印がなされているが、これは強力な精神的圧力、困惑、不安、恐怖などいろいろな要素のもとになされたものであり、決して自主的又は任意になされたものとは言い難いものである。公判廷にて被告人及びムツ子も供述しているように、査察官後藤らは『脱税の事実を認めなければ逮捕するぞ。患者を転院させる用意をしろ』『病院の診療ができなくなるぞ』『医者の免許を取り消してやるぞ』と在宅事件の取調中に発言して被告らを恐怖に落し入れ、他方『認めれば悪いようにはしない』『税金を払えば済むことだ』などと甘い言葉で誘って自白をさせるに至ったものである。

<2> 査察官の過剰なまでの捜査の一例として、昭和五三年度の確定申告のうち、入院料(出産料)九〇〇万円の計上漏れを概括的に認識していたものと裁判所に認定させるに至ったものである。

この点は、原審の控訴趣意書第二点にても弁護人が主張しているものであるが、被告人及びムツ子は右入院費についての収入除外による所得隠蔽の犯意があったとされているが、いきなり査察官が着手した昭和五六年六月二四日から一週間の間に被告人及びムツ子が何の用意もないまま自然に供述した質問顛末書の供述記載は新鮮で重視すべきものである。その中には右入院費の計上漏れを承知していた未必の故意すら読み取れないのである。この点について、原審が何の検討も加えておらないのは片手落ちである。ところが、査察官は、右一週間をすぎてからアウス収入の除外から裏金造りに発展した線上に、この入院費除外も無理やり組み込むべく取り調べを強引に拡大して概括的犯意の概念に含ましめようとした。これは<1>に述べて逆恨みを買ったため、無理やりもっていかれたものである。

<3> 被告人に対する取り調べは、在宅事件で、しかも被告人宅で診療時間に配慮を加えた方法でなされたから任意性ありとするが、それは大いに疑問である。

被告人の患者から手が離せない超多忙な診療時間中に国税査察官数名が自由に出入りして、代わるがわるムツ子及び被告人から質問顛末書作成を断続的に行なった。診療に影響が出て、手抜きになることは人命にもかかわる産婦人科医としての使命に反することになる。このため、被告人及びムツ子は『いつまでも取り調べを続けられたらたまらない』『医師にとって患者の安全確保を最優先し、早い次期に取り調べを終了させるようにしたい』という考え方が自然に出てきたのである。そのような心理状況を見抜いた査察官から『認めれば悪いようにしない』『税金を払えば済むことだ』と言われれば、心ならずも大筋で脱税の犯意を認めるような供述になる。

また、在宅(被告人宅)で取り調べをしたことは、任意性の根拠にはならない。入院・通院を問わず患者の来ているところで取り調べが繰り拡げられる方がかえって精神的動揺が大きい点を原審・第一審とも見逃している。開業医にとって医院内でのゴタゴタを患者に見せてしまうのは評判になって患者が来なくなると言う恐れを常に持っている。その心理状態の時、査察官から『脱税の事実を認めなければ逮捕するぞ。患者を転院させる用意をしろ』『病院の診療ができなくなるぞ』『医者の免許を取り消してやるぞ』と凄まれれば、怖くなり査察官の取り調べに迎合するように供述するものである。

<4> 査察官が予め供述拒否権を伝えないで取り調べをした点を任意性に疑問を生じる余地はないと判断した第一審を肯認したのはおかしい。

供述拒否権を査察官が自ら容疑者に告知した場合は、被告人には拒否権が与えられていることを承知でした供述としてより信用性が高いが、供述拒否権が告げられていない場合は、信用性は低いものであり、アンフェアーになされた証拠になる。質問顛末書の供述記載がこのように俄かに信用し難いものを混入されているのは<1>に述べた強引な捜査をした結果である。

<5> 査察官らは公判廷に於いて、被告人及びムツ子の供述調書作成時の任意性・特信性について証言しているが、これらの捜査官が一度公判廷に出頭すると、捜査段階で無理な捜査をしたことなく、被告人らが自然に供述したままを記載したものであると十人が十人同じことを証言する。今回の査察官も同じように証言しているが、これらの証言を国家公務員の証言だからと言って援用するのは危険である。

<6> 公判廷に於いて、被告人が全面的に争った第一審の経過を振り返ってみると、被告人らは一旦は査察官の手により自白させられたが、心ならずも前述の理由で自白したので、真実に従い徹底的に争ったものである。この争い方を記録全体から観察してみると、被告人が故意に逃れるために行なったものではなく、査察官の強引な捜査としっぺ返しに対して正面から批判したものであり、いかに供述調書や質問顛末書の作成経過に真実を歪められて表現されているか明らかにしたかったものである。

このように信用性を欠く供述調書に基づいて、原審が第一審の事実認定を肯認したのは誤りなので、原判決を破棄して差し戻されたい。

以上

○ 上告趣意書

被告人 菅原賢治

右の者に対する所得税法違反被告事件(御庁平成元年(あ)第一四七号)に係る上告の申立の理由は、後記のとおりである。

平成元年四月二五日

弁護人 小栁晃

最高裁判所第一小法廷 御中

原判決には「法令の解釈の誤り」と「事実の誤認」がある。その誤りが判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。以下に、そのことを分説する。

一 原判決は、『所得税法二三八条一項前段の脱税額は、正規の税額から申告税額を差し引いた差額として算出される』(原判決一六枚目表1行目から2行目まで。)との見地に立った上で、(ア)右に言う「正規の税額」の算定においては『〔所得税法〕第三章(税額の計算)を適用して計算した所得税の額から…源泉徴収税額及び予定納税額を控除して算出する必要がある』(同3行目から6行目まで。)との判断を示す。(なお、その理由は原判決一二枚目表6行目から一五枚目裏11行目までに説示されている。)のみならず、原判決は、(イ)右に言う「申告税額」の算定においても、(ア)と同様に、源泉徴収税額及び予定納税額を控除して算出する必要がある、と言うのである(原判決一六枚目表3行目以下参照)。

二 しかし、当弁護人は、原判決が右(ア)のように言うのは正当であると考えるが、右(イ)のように言うのは誤っていると考える。私見によれば、右(イ)の「申告税額」とは、申告納税義務者である被告人の確定申告に係る所得税の額(換言すれば、被告人が税務署長に対して提出した所得税の確定申告書の「申告納税額」欄に記載された額)であるべきである。したがって、弁護人の考えに従えば、確定申告書の「申告納税額」欄に本来ならば予定納税額を控除した税額を記載すべき場合であるにもかかわらず、被告人が予定納税額を控除しない税額をその欄に記載して確定申告書を提出したときは、当該所得税の納期限までにその申告納税額を修正する手続がとられない限り(本件の場合は、その手続がとられなかった。)、原判決の言う「正規の税額」から右欄に記載されたとおりの税額を差し引いた残額(差額)が脱税額になるのである。

三 右の点を本件事案にあてはめて説明しなおすと、次のとおりになる。

1 昭和五三年度の所得税について。

ア 第一審判決の認定によれば、被告人の納付すべきであった当該年度の所得税額(ただし、後述の予定納税額を控除しない額であることに注意を喚起していただきたい。)は、金三三三一万七五〇〇円である(第一審判決添付別紙三参照)。

ところで、被告人は当該年度の所得税の予定納税として金九万五二〇〇円をその確定申告書の提出前に納付してあった。

(注) 右の予定納税額については、第一審で取調べ済の、越谷税務署長作成の証明書(証拠関係カード(甲)七〇番)中の、

53年分所得税の予定納税額の通知書(控)〔第一審記録第二分冊二三一丁〕

53年分所得税の更正決議書〔第一審記録第二分冊二一八丁から二一九丁まで〕

同署長作成の証明書(証拠関係カード(甲)七一番)〔第一審記録第二分冊二五九丁から二六三丁まで〕

により明らかである。

そこで、第一審判決の認定した所得税額(予定納税額未控除)である金三三三一万七五〇〇円から右の予定納税額金九万五二〇〇円を差し引いた残額の金三三二二万二三〇〇円が、原審の言う「正規の税額」になる。

イ 他方、被告人が税務署長に提出した当該年度の所得税の確定申告書の「申告納税額」欄には金一八八六万八九〇〇円と記載されていた(原判決はこの事実を誤認している。後掲五参照)。

(ちなみに、被告人は右の記載金額を確定申告の際に国に納付した。)

ウ そこで、弁護人の見解によれば、当該年度における被告人の脱税額は、アの「正規の税額」(金三三二二万二三〇〇円)からイの「申告納税額」(金一八八六万八九〇〇円)を差し引いた残額の金一四三五万三四〇〇円になる。

エ それであるのに、原判決は、被告人が確定申告書の所定欄に記載した「申告納税額」が該当年度の予定納税額を控除していない場合においてはそれを控除した上で脱税額を算出する必要がある、との見地に立つので、

三三二二万二三〇〇円-(一八八六万八九〇〇円-九万五二〇〇円)=一四四四万八六〇〇円

が当該年度における被告人の脱税額になる、と言う。

(弁護人の見解と比べると、原判決の言う当該年度の脱税額は金九万五二〇〇円多いわけである。)

2 昭和五四年度の所得税について。

ア 第一審判決の認定によれば、被告人の納付すべきであった当該年度の所得税(ただし、予定納税額を控除しない額である。)は、金七六〇五万四一〇〇円である(第一審判決添付別紙四参照)。

ところで、被告人は当該年度の所得税の予定納税として金一二五七万九二〇〇円をその確定申告書の提出前に納付してあった。

(注) 右の予定納税額については、第一審で取調べ済の、越谷税務署長作成の証明書(証拠等関係カード(甲)七〇番)中の、

54年分所得税の予定納税額の通知書(控)〔第一審記録第二分冊二四〇丁〕

同署長作成の証明書(証拠等関係カード(甲)七一番)〔第一審記録第二分冊二五九丁から二六三丁まで〕

により明らかである。

そこで、第一審判決の認定した所得税額(予定納税額未控除)である金七六〇五万四一〇〇円から右の予定納税額金一二五七万九二〇〇円を差し引いた残額の金六三四七万四九〇〇円が、原審の言う「正規の税額」になる。

イ 他方、被告人が税務署長に提出した当該年度の所得税の確定申告書の「申告納税額」欄には金四一七九万四六〇〇円と記載されていた(原判決はこの事実を誤認している。後掲五参照)。

(ちなみに、被告人は右の記載金額を確定申告の際に国に納付した。)

ウ そこで、弁護人の見解によれば、当該年度における被告人の脱税額はアの「正規の税額」(金六三四七万四九〇〇円)からイの「申告納税額」(金四一七九万四六〇〇円)を差し引いた残額の金二一六八万〇三〇〇円になる。

エ それであるのに、原判決は前述(1のエ参照)の見地に立つので、

六三四七万四九〇〇円-(四一七九万四六〇〇円-一二五七万九二〇〇円)=三四二五万九五〇〇円

が当該年度における被告の脱税額になる、と言う。

(弁護人の見解と比べると、原判決の言う当該年度の脱税額は金一二五七万九二〇〇円多いわけである。)

四 被告人が税務署長に提出した所得税の確定申告書には、昭和五三年度については金一八八六万八九〇〇円を、又、昭和五四年度については金四一七九万四六〇〇円を当該年度の被告人の所得税として国に納付する意思がはっきりと表明されている。しかも、被告人は自己の確定申告書を提出する際に、その記載どおりの額の所得税を国に納めている。

私見は、右の事実をそのまま立論の基礎にすえて、所得税法二三八条一項前段に規定する『所得税を免れ』ようとした額(脱税額)とは、被告人の提出した確定申告書の「申告納税額」欄の記載自体から判断して被告人が国に納めようとしたと認められる所得税額と、客観的に見て被告人が納めるべき所得税額との差額である、と考えるのである。

しかるに、原判決の見解に従うと、右の事実が分解され、確定申告書において被告人が当該年度の自己の所得税として国に納付すると申告し、又、実際にもそのとおり納付している金額の一部(昭和五三年度については金九万五二〇〇円、翌年度については金一二五七万九二〇〇円)が、あたかも被告人において国に納付すると申告せず、又、実際にも納付されなかったのと同じ取扱いを受けてしまう。これは不合理のことである。

原判決が右のとおり不合理の理論に達するのは、前述したとおり、原判決が所得税法二三八条一項前段に規定する『所得税を免れ』た額の解釈を誤ったからである。

五 なお、原判決は『本件対象年度の昭和五三年度、昭和五四年度の確定申告書においても、いずれも実際に予納された予定納税額が計上されている』(一八枚目裏4行目から6行目まで。)と説示する。しかし、これは事実を誤認している。

被告人が越谷税務署長に提出した昭和五三年度及び翌年度の『所得税の確定申告書』の記載内容は、第一審で取調べ済の同税務署長作成の証明書(証拠等関係カード(甲)七〇番)〔第一審記録第二分冊二二〇丁及び二三二丁〕のとおりである。当該証明書に照らせば明らかなとおり、右両年度の確定申告書には実際に予納された予定納税額が計上されて「いない」。それであるのに、原判決がそうでない(計上されて「いる」)と説示するのは何故であろうか。

右の証明書〔ただし、第一審記録第二分冊二一八丁及び二一九丁〕によれば、被告人の昭和五三年分の所得税については、本件犯行が既逐となった後の時期である昭和五四年六月二〇日に、税務署長による更正決定があり、更正前においては「予定納税額」が第一期、第二期とも〇円であったのが、更正後は第一期四万七六〇〇円、第二期四万七六〇〇円に改められているのである。原判決の説示するごとく、昭和五三年度の被告人の確定申告書に「実際に予納された予定納税額が計上されていた」ならば、右の更正決定をする余地は生じないはずである。

右の点に鑑みても、原判決が当弁護人の指摘するように、事実を誤認していることは明白である。

六 右に述べたとおり、私見によれば、被告人の脱税額は、昭和五三年度において金一四三五万三四〇〇円、翌年度において金二一六八万〇三〇〇円(合計金三六〇三万三七〇〇円)である。

それであるのに、原判決(及び原判決が支持した第一審判決)は、前述したように、法令の解釈を誤り、かつ、事実を誤認した結果、被告人の脱税額を『合計約四八七〇万円』と認定し、それを前提にして、第一審がした被告人に対する刑の量定の当否を検討している(原判決一九枚目表5行目から7行目まで参照)。

それであるから、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

以上

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